でもそんなものを扱うパン屋は、ここにはない、だったら自分で作るしかない、と思ったのがパンを焼き始めたきっかけだった。 初心者用のパン作りの本を読むかぎりでは、パンを作るは難しくなさそう。さっそく必要な材料を揃え、本を片手に、意気揚揚と材料を混ぜ、粉を練り始めた。
けれどもパン生地は、いつまでたっても写真のようなもち肌状態にならない。おかしいと?状態のまま無理やり焼き上げたパンは、案の定イースト臭く、形も無様。
もうパン作りなんてこりごりだと思ったが、この時すでに台所の隅では、業務用サイズ25キロの粉袋が鎮座していた。 さすがに25キロもの粉を使わずに、そのまま放置しておけない。
とにかくこの粉がなくなるまでと、それからも毎日パン作りに挑戦し、なんども失敗を繰り返しているうちに「あれ、この水加減ではうまくいかないな」と気づく日がでてきた。
「もう少し水を足して」手で感触をためしながら練った生地は、ピンと張りがあり本の写真と遜色ない。これはうまくいくかもという予感は的中した。一次発酵、二次発酵を終え、整形したパンを焼き始めると、オープンから 香ばしい匂いが。
焼き上がりを待ちかねて、オープンからパンを出すと、表面でぱちぱちと小さな爆ぜる音がしだした。パンがおいしく焼けた証拠だ。 暑い日は生地がだれる、寒い日は生地がこわばる。その時々の状態を手で感じ、水加減を調整しながら生地をこねると、パンの失敗がなくなる。
この時以来、わたしは手に対して絶対的信頼を持つようになった。 ギョウザの皮を作る時、うどんを打つ時、本に書かれた分量は、あくまでも基本として、あとは自分の手の感覚を信じる。すると不思議なほどうまくいく。
たかが手、されど手。シンプルだけど、その奥深さは計り知れない。
子供の具合が悪そうな時、まずその体に手をあててみる。土鍋でご飯を炊くとき、お風呂の湯加減をみるときも、まず手ではかる。ちょうどいい具合というものを手加減でわかるからだ。
こんなふうに、手で感じるとうまくいくと知ったのは、パンを焼き始めた時だった。 標高700m、周りを山に囲まれた過疎の町に、わたしとつれあいが移り住んだのは十五年前。 車で山を下って町の中心にある小さなスーパーに出かけていっても、置いてあるのは、市販の6枚きり食パンだけ。